映画『ぼくの名前はズッキーニ』考察・メイキング 【愛に飢える子どもたちの現実】
(C)RITA PRODUCTIONS / BLUE SPIRIT PRODUCTIONS / GEBEKA FILMS / KNM / RTS SSR / FRANCE 3 CINEMA / RHONES-ALPES CINEMA / HELIUM FILMS / 2016
『ぼくの名前はズッキーニ』(2016)母子家庭のズッキーニは、不慮の事故で母親を亡くし孤児院で暮らすことになる。クラスメイト達もまた、それぞれ複雑な事情を抱えていて、ズッキーニは心の痛みを仲間と分かち合い、助け合うようになっていく。
ストップモーションだからこそ
あらすじから察するに、孤児院の子供たちの辛すぎる設定やプロットだけをたどるとかなり暗い。
が!!!
決して身構えるべからず!
とてもユーモアあふれる、とってもやさしい作品なのです。
正直にいうと、はじめは結構な鬱設定にダメージをくらいました(笑)
でもね!ユーモアあるカラフルな造形やかわいらしいクレヨンカラーのおかげで、ずいぶん辛気くさい空気が緩和されています!
子供どうしの会話がメインとはいえ、設定が設定だけにきっと実写やシリアスな絵柄だと生々しくてきつい内容も、かわいらしい絵とストップモーションだから見やすい。
また、66分とコンパクトな尺なのに、過不足のない脚本もすばらしい!
短くも長くも感じさせず、かと言ってペラペラな内容でもなく。孤児院の子どもたちの不思議な行動や、それぞれのバックグラウンドが描かれているにも関わらす、短い尺で
想定していたより、ストーリーに救いがあったのも良かった。
「ズッキーニ」に込められた意味
私はズッキーニがすき。茄子も大好きだけど、あのキュウリと茄子のハーフ的食感が好きだ。
すっかりズッキーニ呼ばわりしていますが、主人公の本当の名前は実は「イカール」で、「ズッキーニ」は母親がつけてくれたニックネームなのです。英題にあるように、彼は “My Life as a Zucchini (ズッキーニとしての人生)”を自ら選択し、周囲もそれを尊重してくれる。
ところで、この「ズッキーニ」という単語、なんだか気になりますよね。だって自分の息子に茄子とかキュウリとか意味わかんねーし…
英語だと、ドジな人やつまらない人のことを“small poteto”なんて呼んだりしますよね。「俺なんてしょうもないやつさ…」みたいな感じです。
だから、「ズッキーニ」もといフランス語の “Courgette” にもスラングでなにか意味があるのかしらと思ってしらべてみた。
が!
むむむ、調べても出てこないぞ……
深読みしすぎ?とは思ったものの、皮肉な意味がなければタイトルにするだろうか。否!
日本語でも、相手をバカにする言葉で「おたんこなす」とか「どてかぼちゃ」なんて言葉がありますよね。今となってはすっかり聞かなくなったけど。『キテレツ大百科』や『ぷよぷよ』などなど、古~い漫画やアニメでうっすら聞いた覚えがあります。
~閑話休題~
「どてかぼちゃ」「おたんこなす」がよくない言葉だということは、幼いながらにわかったものの、実際どんな意味があるのだろう。
と、しらべてみたところ、詳しいブログを発見。
「おたんこなす」がまさかの下ネタディス(爆)
これは言ったらダメなやつだ… (※詳細はリンク先の記事へどうぞ(笑))
茄子はともかく、こちらのブログによると、「どてかぼちゃ」は「役立たず」といった意味がある模様。ズッキーニを含め、ウリ科の植物は万国共通で蔑称として使われてるとして問題ないでしょう。平安時代だと美人のたとえだったのにね…
そんな悲しいニックネームでも、大切にするズッキーニ君。この設定だけでももうまぬ子の涙腺はガタガタです。本名である「イカール」と呼ばれても「ぼくの名前はズッキーニだ」と言い張るのです。
一人で生きていけない子どもにとって、
愛に飢えているからこそ、健気でいなければ自分を保てないのかもしれないですね。
それがイカール君が「ズッキーニ」という名前に執着する理由であり、タイトルに込められた意味でもあるのだと思います。
不思議な造形
かなりユニークなキャラクターデザインも見どころのひとつ。
大きくて丸い頭や、目にクマがあったり、ピングーと見紛うほどの異様に長い腕だったり。そして、よ~く見てみると、指が4本しかない!
と、キャラクターの描き分け云々の前に、ベースとなるキャラクターデザインがかなりデフォルメされていたにも関わらず、こどもたちの表情はとても繊細で、目のこまかい動きなど、とてもリアルな印象を受けました。
下記メイキングにリンクがありますが、俳優経験のない子供たちを声優として起用し、撮影した演技をもとにアニメーションをつけているそう。
リアルな表情に反し、キャラクター造形をとことんデフォルメ化したことには、どんな意味があるのだろう。
キャラクターデザインには、生々しく残酷な子どもたちの現実を緩和する役割のほかに、彼らは「不完全で、いびつだ」という意味が含まれているように思えてならないのです。
子どもには、ましてや心に傷を負った彼らには、「自分たちが不完全だ」という劣等感を持っている、ということがいびつなデザインに反映されているのじゃないかなと。まぬ子は考えるのでした。
もちろん大人だって完全ではないのにね。
「オネショしても、落書きしても、愛してくれる?」
愛に飢え、
メイキング紹介
■ぼくの名前はズッキーニ メイキング動画 公式サイトより
■Ma Vie de Courgette: Making Of
3Dプリントだと無機質な印象になってしまうから、出力後にわざわざ、温かみを出すためにクレイアニメの質感をつけたそう。服もきちんと布から作っているので、質感の違いがあって絵がリッチに感じられますね。
目が大きいからって指でアニメーションつけてたんかいと思うと、急に親近感がわきます(笑)
■監督インタビュー
ストップモーションの制作現場を細かく話してくれている、とても面白いインタビュー!
現場では、セットやショットごとにライティングやカメラのセットアップは準備されるが、アニメータ―は「よ~いスタート!」と一旦自分の担当カットが始まれば、どれだけそのショットが難しくても、ミスをしてしまっても、自分のカットは責任を持って対処しなければならない(まぁ当たり前だけど)
1人のアニメーターにつき、1日3秒(つまり静止画72枚分)のペースで作業が進められたそうですが、それが15セット分を同時進行で製作していた模様。(パペットが複数体あったってことかしら?)
アニメーター達のアドリブ演奏によってできた、ショットをつなぐからストップモーションって、JAZZみたいなんもんだぜ!と監督は仰っていますが、
これだけシビアなタイムスケジュールで、信頼しているスタッフじゃないとアドリブなんて任せられないよね。そう思うと、とってもスリリングで楽しそう。
セリーヌ(脚本担当)いわく、大切なのは子供がどう話すかを不思議がるのではなく、自分たちも子供と同じ目線で考えるようにすることだそうです。
「意味不明」だとか「子供の考えることだから」と想像にまかせるのではなく、等身大のこどもに目線を合わせ理解することが、視野を広げ、感性を豊かにしてくれる。
いつまでもクレヨンしんちゃんで笑い転げれられる大人でありたいものです。